こんにちは。
「怒られなくても、ひとりで勉強ができるようになる教室」トレッペ教室長の内海哲平です。
トレッペの得意なことは、「勉強を好きになってもらうこと」「毎日継続して自主学習できるようにすること」「ずっと昔につまずいたところを見つけること」です。
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今日は戦国時代の合戦のお話です。
戦国時代は、時代的には室町時代と江戸時代の間で、
名前の通り日本のどこかしらで日常的に合戦が行われていました。
よく教科書とかでは関ヶ原の合戦は徳川家康と石田三成の戦いと書いてありますが、
これはお互いの軍勢の総大将であって、
家康と光成が直接刀を持って、剣道のように一騎討ちをするということはまずありえません。
というのも、総大将が討ち取られてしまうと、
その軍勢を指揮して統率するものがいなくなってしまい総崩れになるので、
普通総大将は合戦の状況が見えやすい小高い丘などで一番安全な場所に本陣を構えます。
ですので、家康や三成などは自ら刀を振って戦うことはほとんどありません。
実際に戦闘するのは一般の兵隊ですが、
それも馬に乗って立派な鎧を身に着けた上級の武士と軽微な武装の足軽のように、
身分や階層差がありました。
いざ合戦の時には、上級の武士は「やー、やー、我こそは○○から数えて何代目の子孫○○であるぞ」と名乗りをあげて、
それに対して同じように名乗りをあげて立ち向かってくる武士と「相手にとって不足なし」と刃を交えて戦います。
ちなみにサムライと言って真っ先に思いうかべるのは刀ですが、
当時の第一の武器は飛び道具の弓で、その次が鑓です。
つまり、できるだけ相手と距離をとって遠いところから倒すことができる武士が、
最も恐れられた強いサムライだったのです。
それなので、刀は弓の弦が切れてしまったり、鑓が折れてしまったあとに使う予備的な最終兵器だったのです。
そのため刀は実用的な兵器ではなく、主に打撃のために使われていました。
そして刀が武士の魂としてサムライの象徴になったのは、倒した相手の首を取ったり、切腹や介錯など、
命を取る最終的な道具として使われるようになったからとも考えられています。
これに対して足軽などの下級兵士は主に「つぶて」と言って、石を投げて戦いました。
そして彼らが合戦に行く目的は、相手からいろいろなものを奪うためだったと考えられています。
このように合戦はいろいろな身分や立場の人が様々に関わって行われていました。
久野
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