こんにちは。
「怒られなくても、ひとりで勉強ができるようになる教室」トレッペ教室長の内海哲平です。
トレッペの得意なことは、「勉強を好きになってもらうこと」「毎日継続して自主学習できるようにすること」「ずっと昔につまずいたところを見つけること」です。
このブログは毎週火曜日(プラス気が向いた日)に更新されます。
よかったらのぞいてみてくださいね。
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今日は豊臣秀吉の話をしたいと思います。
みなさん、秀吉のあだ名をご存知でしょうか??
秀吉はドラマなどで“猿”と呼ばれて有名です。
実際に秀吉が仕えていた織田信長からそう呼ばれていたようですが、
また別に“はげねずみ”とも呼ばれています。
信長は産まれたばかりの自分の子どもを見た時に“奇妙だな”と思って、
奇妙丸という名前を付けたぐらい、名前やあだ名を付けることが得意でした。
ですので、秀吉も“猿”や“はげねずみ”に近いルックスだったと思われます。
秀吉の子どもの時の名前は“日吉丸”なのですが、
これは秀吉が生まれる時にお母さんが日吉神社に安産の祈願をしたことから名付けられたと考えられています。
あだ名の“猿”も、日吉神社の神さまのお使いが猿なので、そのことにちなんだとする説もあります。
秀吉は農民の出身でしたが、信長のもとで数々の手柄を立て、一国一城の主に出世します。
そして、本能寺の変が起きました。
その時に黒田官兵衛が、“殿、ご武運が向いてきましたぞ”と進言したことから、
信長を暗殺した明智光秀を討伐することを決意します。
そして天王山を制して山崎の合戦で光秀を倒すことに成功し、
信長の後継者として“天下人”へと昇りつめて行きます。
この天下人を決める決戦から、今でもプロ野球の首位決戦などのことを「天王山の戦い」といいます。
秀吉は信長を倒した光秀を倒し、天下統一を達成したので、
まさしく戦国時代最強の武将だったといえるでしょう。
ちなみに秀吉は、同僚の前田利家が右手の指は6本あったという証言を残しています。
顔つきも含めて、このようなことをいろいろと想像するとドラマの見方も変わって、
おもしろく見れるかもしれませんね。
久野
久野先生にはこんなお話も書いてもらっています。
※リンク※『☆明智光秀と本能寺の変(久野)☆【トレッペ講師陣より】【トレッペの勉強のこと】』
※リンク※『織田信長はこんな人(久野)【トレッペの勉強のこと】【トレッペ講師陣より】』
※リンク※『歴史の楽しみ方(久野)【トレッペの勉強のこと】【トレッペ講師陣より】』
※画像は府中市との天王山に臨むうちの長男(ではなくただの電車好きです笑)。
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勉強はつらい修行ではありません。
まずは一緒に勉強を楽しみましょう♪
階段式個別指導教室トレッペ
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